「涼宮ハルヒの溜息」にまとわりつく違和感。

なんだかんだで話題にはなった「エンドレスエイト」が終わり、新たなシリーズ「涼宮ハルヒの溜息」が始まったわけだが、この「溜息」、どうにも見ていて釈然としない部分がある。

一つは、ハルヒとSOS団の関係のぎこちなさ。ハルヒが自己中なのは、今に始まったことではないと言えるかもしれないが、それだけでことは済まない。劇中の季節は秋。劇中では様々なイベントを過ごしてきた後だ。それがここに来て急に、キョンが他のメンバーに対して以前に比べて妙に淡泊だったり、ハルヒがミクルをおもちゃ扱いしだしたり、人間関係でギスギスとした雰囲気が漂っている。これが、「ミステリックサイン」→「孤島症候群」→「エンドレスエイト」と続いた後でみると非常に不可解に感じてしまう。キョンハルヒの横暴に堪えかねて激昂した時も、今までの関係を考えれば遅すぎたくらいだ。その後のハルヒ仲直りにだって、すっきりしない感じが強い。部室で、ハルヒキョンを異性として意識していることを伺わせるシーンがあった。そこだけ見れば、ハルヒの意外な女の子らしいシーンとして好感が持てただろうが、その前日にハルヒはみくるにこっそりと酒を飲ませ、キスシーンを撮影を強行しようとしているのだ。それを止めたことに逆ギレしておいて、当のキョンの一言でころっと機嫌を直してしまうハルヒには、結局どこまでも自分勝手であるという印象しか残らない。これが次のエピソード「ライブアライブ」で他人を助ける為に奔走するハルヒと同一人物には見えないほどだ。

これには、「退屈」が「憂鬱」に続く原作2巻に辺り、「憂鬱」と「退屈」の間のエピソードは原作では後から書かれたものである、というのが一因だろう。団員間の関係がブレて見えるのも、間に挟むエピソードが後から挿入される形になったから、時系列順にみると違和感が生じるのだ。

それに加え、原因としてもう一つ思うことがある。アニメーション「涼宮ハルヒの憂鬱」は原作を尊重しながら高いクオリティで描かれているのが売りの一つであるが、今回はそこが悪い方向に作用したようにも見えたのだ。原作の意図を汲みすぎた、といことだ。原作の「退屈」でハルヒは自己中を暴走させ、結果キョンとの衝突を招くわけだが、その時のハルヒを原作通りに、あるいは原作以上に、嫌な奴に描きすぎた。ハルヒがみくるをいじめるシーンがそうだ。原作を尊重するあまり、アニメーションとしては通して見た場合には歪な部分が出来てしまったのだ。この辺りは、アニメ化する際どうとでも手を入れられそうな部分だったので残念に思う。

あの「エンドレスエイト」の後だから、余計に期待に力が入ってしまったというのも正直ある。けれど、どうにも制作が明後日の方向を見ているような気がしてしまうのも、今の自分の率直な感想だ。

 絆と背骨@サマーウォーズ

やっと見てきた『サマーウォーズ』。

同じ細田監督作品『時をかける少女』を劇場で見に行ったのも懐かしく感じるなぁ。

大雑把ではあるが感想を。


あらすじ。情報を取り込んで成長していくハッキングAIの脅威によって起きる、仮想世界OZ(オズ)、及びそこに依存しきった現実世界の混乱。世界中が翻弄される中、それに立ち向かうのはヒロインである篠原 夏希とその実家、陣内家の大家族と、そこにお邪魔していた夏希の後輩、主人公の小磯健二だった。


仮想世界に現れた謎の敵。混乱から現実世界にも危機が迫る……と書くと、思い出すのは世代的に直撃だった同じ細田監督『劇場版デジタルモンスター ぼくらのウォーゲーム!』。仮想世界でのボディであるアバター同士が戦うシーンなど、まさにデジモン


その『ぼくらのウォーゲーム!』との明確な違いであり、本作のテーマとして全面に押し出されているのが人間同士の絆という部分か。仮想世界でAIが起こした混乱を、現実世界の人の繋がりで立ち向かう。シンプルだが燃えるシチュエーションだと思う。


惜しむらくは、キャラクターの中にスーパーマンが多過ぎることか。OZ内の格闘チャンピオンの中学生。世界を混乱に陥れたハッキングAIの生みの親であるプログラマー。個人で混乱する関係各所の大物に連絡を付けて騒ぎを沈静化させるお婆ちゃん。高性能AIと花札で渡り合う女子高生。世界最高とうたわれるセキュリティを次々突破する高校生。これらの設定が突飛すぎる、ということではなくて、この設定に説得力を与えるバックボーンの描写が足りていないのだ。せめて、ジョーカーは一枚に絞って置いた方が良かった。


他人のアバターを取り込んで強さを増すAIを相手に戦う人間達には、数人の個人の突出した能力ではなく、アイディアと信頼と連携で切り抜けて欲しかった、と思ってしまう部分が残るのが惜しいところだ。絆、というテーマだからこそ、そう感じてしまう。絆も能力も積み重ねて築くもの。夏の物語には暑苦しいほどの泥臭さが、もうひとさじ欲しかった。

戦いは次のステージへ…@青い花 第8話

青い花 第1巻 [DVD]

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前回、衝撃のラストからの続き。
杉本先輩から突然別れを切り出されたふみ。それをふみの口から聞かされたあーちゃんは杉本先輩を問い詰める、も、その後は、自己嫌悪で学校をサボってふみに会いに行く。時間は過ぎ、ふみは表面上は失恋の痛手から立ち直るけれど、夏休みの計画の為にあった杉本先輩に片思いの京子と二人っきりになったとき、思わず涙があふれ出す。
ふみちゃんの薄い胸に顔を埋めるあーちゃんカワイイ。その時のふみちゃんの顔がプール回で咲に抱きつかれた原村さんにそっくりな気がするけど目の錯覚ですね。ふみちゃんは文化部とは思えないモデル体型だなぁ。今時に黒髪三つ編みメガネで制服も良いけれど、黒髪ストレートも捨てがたい。今回でついにふみちゃんのターゲットがあーちゃんに!? あーちゃんは台風の目みたいな存在で、周囲が泥仕合な恋愛劇でありながら、それとは基本関わらず癒しをまき散らす独立式人型清涼剤としての役が大きかったけれど、これからどうなってしまうやら。

『咲-saki-』第19話。団体戦ついに決着

咲-Saki- 1 初回限定版 [DVD]

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大将戦もついに最終局面。衣、池田、加治木の3人はそれぞれ目の前の局面に対して頭を悩ませているというのに、圧倒的な力を見せつけて勝利をかっ攫っていく主人公・咲。「麻雀って楽しいよね!」「一緒に楽しもうよ!」とイイ笑顔で語り始める場面から異質な雰囲気が漂ってるし、最終局面の咲のターンのBGMといい、まさにラスボスの風格でございました。

原作ストックが最新刊分どころか、同じ週発売の雑誌最終刊にまで追いつき、追い越しての決着となった今回。団体戦終了で、いい最終回でした……で締めたいところだけれど、次回からは完全オリジナル突入。とりあえず予告では来週は水着回で息抜きに加えて、咲の姉、照の顔見せかな。その後は個人戦になるとの事。期待と不安が入り交じる感じだけど、個人的に部長vsキャプテン、咲vs和の対決と、池田が独力でどこまでやれるかは見てみたい。

 エンドレスエイト・終わらない夏の終わり

新アニメーション『涼宮ハルヒの憂鬱』エピソード、エンドレスエイトも第8話でついに終了。
アニメ史上、あるいはテレビ史上か?前例のない、延々6話にもわたって同じ話を繰り返し、劇中の長門同様、視聴者をウンザリとさせてきたこのエンドレスエイトの終わりは、一体どんな意味を持つのだろう。


第8話、最後の5分までは、ほぼ前6話と同じ展開。ラスト5分、ハルヒがファミレスの扉をくぐって出て行こうというその瞬間に、キョンが残っている宿題を集まってやろう!と提案してループ脱出。勉強面では優秀なハルヒにとって、夏休みを楽しむ為に宿題をさっさと終わらせてしまうのが当たり前だった。そのため、夏休みの定番イベント、みんなで集まって宿題をする、ということに思い至らず、それが未練となってループ時空を作り出していた、ということなのか。そっちのけで話を進められたハルヒの悔しそうな顔が堪らない。ツンツンされたい。線香花火の光を掴んだキョンが、花火大会の事を思い出す所からの流れは中々良かった。ラストを締める回としては、期待通りの出来といえる。それで、全てをチャラにできるほどではないと思うけれど。


思えば全8話、キャ○ツの様な作画崩壊でもG○NZ○の様なシナリオ崩壊でも無いのに、思い入れの強いファンほど苦しむという謎の展開に陥ったエンドレスエイト。残された話数では『消失』も期待出来ないし、結局この愚行の意図は明確にならなかった。しかし癪なのは、これでも凡百の作品よりDVDが売れるのだろうという事かなぁ。

「ポルノグラフィー非常に有害だとは思わない。しかし、恐ろしく、恐ろしく退屈である」

英国の劇作家、俳優ノーエル・カワードの言葉。
やることが決まっている作品ほど退屈な物はない。なるほど、まさにその通りだった。

今、『寄生獣』を読みかえしてみたり。

寄生獣(完全版)(1) (KCデラックス)

寄生獣(完全版)(1) (KCデラックス)

人間を食する『寄生生物側』、『人間側』、そしてその中間者として存在する『新一とミギー側』、この「利害が一致しない」三者間での高度な知略戦がこの物語を他のバイオレンスコミックから一線を画す結果となっている。また、パラサイト探知能力のある一人間として人類全体のために動きたいと思っている新一と、寄生生物としてあくまで利己的であるミギーとのやりとりもこの物語の見所の一つである。
現在、清水崇監督によるハリウッド実写映画化が予定されている。


寄生獣 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』


読む度に新しい発見がある作品。あと名言の宝庫。

人間に取り付き、人間を食らう寄生生物達の口から出る言葉は、ストレートに胸に響く。

ミンチ殺人が世間を騒がしている中、ごみ箱に捨てられたハンバーガーを見た新一が一言、「ミンチだ」とか。この一言と、やたらどす黒いハンバーグの断面は、当時としては相当なインパクトだった。

その反面、人間が捕食されていく様子は絵面の割にはすんなり受け入れられたように思う。ホラー作品とは違い、モンスター=寄生生物の目的が、新一視点で序盤ではっきりと名言されているせいか。この辺り、ハリウッド版が制作されるなら、単なるパニック映画にならないことを願いたいなぁ。最近『AKIRA』のハリウッド版が暗礁に乗り上げたし、これもどうなるか分らないけどね。どう作っても原作及びアニメ版から劣化しそうな『AKIRA』よりはまだマシかもしれないけれど、原作に忠実に撮って魅力が増すとも思えないのがきになる所。


ミギー「私は恥ずかしげもなく『地球のため』などという人間が嫌いだ。
なぜなら地球は初めから泣きも笑いもしないからな。
何しろ地球で最初の生命は煮えた硫酸の海で生まれたそうだ」


人の為と書いて偽りと読む、とは良く出来てるなぁといつも思う。